■ 私の就活のころ ……就職難でした (2011.2.9)

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相変わらず厳しい就職状況が続いているようです。
1992年度の卒業生:Yさんに当時の就活状況を投稿していただきました。


バブルがはじけた最初の年に就職活動をしました。少し前の年に数名採用枠があった反動もあってか、募集枠0です。
まだ当時は半導体を組み込んだ製品がたくさん送り出されており、コンピュータがかなりの高額であるにもかかわらず、飛ぶように売れていました。
そうであるにもかかわらず、電気科であってもほとんど採用枠はなしです。
同期の面々もかなり苦戦したあげく、半導体とはちがうメーカーへ就職していたようです。中にはものづくりから離れてしまったりもしていました。

私も新卒採用をしていない会社へ就職しました。秋ごろになって一度就職活動をやめ、実験に打ち込んでいました。
そして翌年2月に新聞広告に載っていた会社へ応募し、行くことになりました。
電気科というと、規模の大きい所でしかできない半導体づくりをしている会社へいきたいと考える人が多かったようです。
当時は大学にある研究室も、光る半導体や薄膜形成などが目白押し。
強電関連が時代にそくさないから無くしてしまおうという動きがあるという話もありました。

回路と数値計算が電気の領分と考えていた自分の考えはダメなのかとも思いました。
ところが半導体素子を作らない会社では、ワンチップマイコンと周辺を固める素子をプリント基板へ載せて、組み込みプログラムを書いて製品化する、という需要がまだまだあり、私も何とか仕事をしていました。

朝は少しゆっくり出来ていたのですが、帰宅は10時すぎ。土日は休みだったのですが、仕事に必要になりそうな文献に目を通すばかり。
一人で何役もこなさなければならないため、慢性的に時間不足。夜帰る時間が毎日終電とまではいかなかったのですが、
とにかく仕事で埋め尽くされてました。それでも電気の仕事ができていた私は幸せだったかもしれません。

そして、しばらくして退職し、山下電機で仕事をするようになります。そして今に至ります。
この間の同窓会で私が恵まれているよというお話をいただきました。でもここに至るまでは、2倍増しのハードルをいくつも飛ばされてきたようにも思います。
最後の春休みに読んだ本の中でそうなることは前もって知っていたので、あれこれ言われても特に思い悩むことはありませんでしたが、
選択肢を決める役割がいかに大変なことかは、まだ背中を見ている私は自覚できていないです。
あと19年で何が残せるのか、進路を決めるコンパスの指針は、揺れ動いています。


 
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